アフィリエイトアレルギー

※記事内に記事内容とは全然関係のないアフィリエイトリンクがムダに含まれています
以前、剥き出しのがめつさにひらすら発狂する『広告まみれのブログ多すぎィ!』という日記を書いた。
その気持ちは変わっていないどころか日に日に激しさを増しているのだけれど、そもそも「アレは、一体、なんだ?」という疑問に、今更ながら行き着いた。
アレは、一体、なんですか?そしてこのアフィリエイトアレルギーは、なんなんですか?これはそんなことについて考えた日記である。
まずわたしは、自身の影響力、発信できるもの、発信できる場所。そういうものを収益化する、ということに関しては、「だよね」と思っている。
社会の中で何かの働きをした、“知らない誰かの役に立った” のであれば、報酬は発生するべきだ。たとえ本人が「なにか貰うほどのことじゃないよ、いいよいいよ」って感じであっても、報酬は渡されるのが健全な在り方だ。ただまあ、それが金銭であるとは限らない。
けど、以前書いたように内容見せる気ないだろという広告の貼り方、在り方。アレのことがもう、超★キライなのだ。
収益化することが悪いんじゃない。そこに来た誰かの本来の目的はその内容なのだ。それが快適に見れないんじゃないかとか、こんな見え方だと不快になるんじゃないかとか、そういうことを考えないことがキライなのだ。そういうことを考慮しないで、効率的に稼ぐだァ〜〜??
うるせーーーーーーーーしらねーーーーー!!!!!!!
あんなものはもうほぼ釣りサイトだ。バーボンハウスなのだ。(暴言吐いて)すまない。仏の顔もって言うしね…。

ともかくこのへん、掘ったら何かおもしろい気づきがありそうな気がする。
そもそもだけど、広告収入というのは大きくわけて3つの形があるんだってさ。
成果報酬型・クリック型・インプレッション型。このブログは情報サイトじゃないので説明は堂々と省く。詳しくは下記サイトを見てください。
わたしがアレルギー反応を起こすあいつらは、この中の、特にインプレッション型ということだ。
これは調べるまで全く区別がついていなかった。「サイトに広告を貼る」ということをするとすべてあんなことになると、なんとなく思っていたけれど、そんなことはない。
ということは、あれは、運営者が故意にやっているのだ。釣りだ。やっぱりバーボンハウスじゃん!!じゃあ、注文を言おうか!?!?
クリック型もアレか?お前な?誤タップ誘導のお前か?お前なのかァーーッ!!!!ゆ゛る゛さ゛ん゛!!
ということで、ひとつだけわたしのアフィリエイトアレルギーが発症しないかもしれないタイプがある。成果報酬型だ。これは他と違って条件がちょっと厳しい分、執拗インプレヤロ〜よりなんていうか、いい奴そうだ。

これだけを採用するのであれば、本当に他の広告とかは出てこないんだろうか?気になる!せっかくだから試してみよう!
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今まで、分別なき アフィアレルギー感情 で、サイトを見て「いいな」と思っても、クリックせずに普通に楽天とかで検索して買っていたことをここに告白する。けれど、知ることでちょっと変わったかもしれない。
これきっかけで買おうと思った!と心から思えたのなら。そのサイトの運営者に報酬が入ることはいいことだ、と思えたのなら。素直にそのリンクから買ったらいい。と、思えた。
思えないなら、後で自分で同じ商品を探して買えばいい。他の店でも同じものを同じぐらいの値段で置いているのなら、イヤなカンジの店で買わなくたっていいのだ。それを選ぶ権利は買う側にある。
“買う” というのは “投票” と同じなのだ。と、言っていたのは誰だったかな。たしか池上彰(敬称略)だったかな。
ただ、そもそもそういう紳士的 なサイトは、検索の時点で がめつい サイトに負けちゃうのかもしれない。探したいなそういうサイト。それってたぶん“同志”だ。
今更も今更だが、これは善悪の話ではない。「合理的」とか「論理的」とか、そういうものと少し離れたところにある、感情や感覚、印象の話だ。
どちらが正しいとかではなくて、バランスの話。感情だけだとただのバカかもしれないけれど、合理だけだと、それはもうなんだろう。お前ら人間じゃねぇ!!
ちなみに「お前ら人間じゃねぇ」で検索するとサジェストで「言い過ぎ」って出てくるのおもしろいので打ってみてください。
自分が納得できる「いい収益化」って、どんな在り方なんだろう。
お金を払うかどうかは払う人が決める。これは大原則だ。どの広告収入の在り方も、これは満たしているはずだ。広告をばら撒いてほしい側と、ばら撒ける側がいて、ばら撒いてほしい側が、納得して報酬を払っている。
そして、そこで不満を抱いているわたし(たち?)はそのどちらでもない。ばら撒かれている側だ。わたし(たち?)には、ばら撒かれるものを選ぶ権利はない。
そもそも、広告って全部そういうものだ。前提として“邪魔モノ”である。それを、作る側・発信する側が一番わかっているからこそ、テレビコマーシャルや宣伝のツールや表現、デザインというものは、考えられ、洗練され、もはや作品といえるような質になるんじゃないのか。
最近、そういう要素が足りないなって、思ったりする。個人の感情であって感覚であって、印象の話ですよ、これは。
善悪の話ではなくて、正誤の話でもなくて、「自分は何を大切にしているのか」。だから、「何が気に食わないのか」の話なんです。

